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つや姫 山形のブランド米〜レトルトパックの夢〜 [研究・解明]

ののさんから山形のブランド米『つや姫』が届きました。
今年の秋デビューです。

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やはり届いた梅の実と。大きさが解りますか?

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白く長く、ほんのりとした甘みが特徴です。

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和食は勿論ですが、横長の米粒のスタイルからソースにも絡まりやすく、
欧風カレーやシチュー、ボルシチにも相性が良さそうです。

詳しくは、コチラへ。




せっかくの『つや姫』という名前なのですから、お姫様の可愛いキャラクターがあれば、もっと楽しいかなと思いました。

同じくののさんからのプレゼント。
海外の切手です。
異国情緒・・・素敵な日本語ですね。
横浜に住むののさんらしい、プレゼントです。^^


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共通テーマ:グルメ・料理

はやぶさ帰還、奇跡の宇宙回帰〜 [研究・解明]


Eさんが興奮していたので、ちょっと聞いてみました。
E「大変な事ですよ、エネルギー反射板の僅かな太陽光の充電で、戻ってきたんです、魂があるとしか思えません
私「可愛いですねぇ、ちゃんと日本に戻ってくるようになれば、良いのに」
E「戻ってきただけで・・・」
私「そうですね、なんとか研究結果を日本に持ち帰りたくて、がんばったのかもしれませんね」
E 頷く)」
感慨深い様子でした。
私「何がそれで、どうなるんですか」
E「地球から宇宙へ、そしてまた戻ってくる_宇宙からの往復が出来るんですよ」
私「へー」

今日はホルストの『惑星』聞いてる人多いだろうなぁ。

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土曜日に二つの封書が届きました。
ひとつはソネブロの、ののさんから『つや姫』の試食。
もう一つは、これから支援して行こうとしている裁判の関係者から。
六月の二つの封書。
私には小さなイベントです。
裁判関係の方は細かく感想を書き、支援をお約束しました。
ののさんのお米の試食イベントもこれから書きます。
代々木公園です。
バラはもう散ったでしょう。
私が支援する大河原宗平さんを支える会
裏金を抗議したら、逮捕、免職されてしまったというとんでもない話です。
剣道六段の警部補でした。
これから裁判の様子などブログで追って行きます

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ポアンカレ予想、証明認定される。はぁ?むしろトポロジーの敗北の証明だろ。 [研究・解明]


ポアンカレ予想が解明認定された。
ロシアに居る半ば廃人と化した数学者の予想の証明が、確かに正しい、と認定された。
つまり今まで、この証明が正しいかどうか、検討期間中だった訳で。
この話を面白くしてるのは、この数学者が隠遁生活を送る廃人(母親の年金で暮らしているらしいのですが)であるという事で、学会から出る賞金を受け取るかどうかに衆目が集まっているという事。

は?研究し、その予想が正しいかどうか証明すると廃人になる理論のどこに人類の発展が隠されているんですか。
この痛ましさ。
決して現実に証明できない理論を公式に叩きだす事を思考する事のエネルギーは脳と精神を破壊するのだという証明では?
リーマン予想証明研究者も何人かおかしくなったという話を聞いた。
この予想は実は数学者を破壊するための、公式の形をとったウィルスとか爆弾なんじゃないの?
地球に紐をつけてロケットで旅をして・・・という例題のなんというばかばかしさ。

こんなもんで人間が破壊されるのはかなわん。
このポアンカレ予想の証明はトポロジーでは解析できなかった。
つまりこのトポロジー自体の(無用性)の証明である。
トポロジーについてはウィキペディアで調べていただくとして、このトポロジー自体が人間を馬鹿にしてるとしか思えない。
人間が今まで構築してきた芸術性とか、建築する能力とかに対しての冒涜でしょ。
コーヒーカップがドーナツになるとか。いい加減にしてくれ。
他の方のブログ読ませていただいて、あまりにもこのポアンカレ予想に対して懐疑的な論調がみられなかったので、あえて、書かせていただきました。

文系市民はもうちょっと『それでなんなんですか?一体なんの貢献が人類にあるんすか?』と詰めてもいいんじゃないですか?
宇宙の神秘は工学、ロマンは文学、美は芸術が証明してくれる。
そして宇宙の形、色を感じる心はどんな人にも宿っている。
宇宙の形、地球との距離を証明するのに、大多数の民衆が理解できない数式を持ち込むのは、理学者の傲慢さの証明である。

私はそう思いますが。

誰も廃人になった数学者の容態を心配しないのはどういう世相なのか証明。解明してほしいのはこっち。


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イワクラ_古代巨石文明の謎に迫る_日本の巨石信仰  ブックレビュー [研究・解明]

巨石信仰とは何か?
日本人は何故石に祈りを捧げ、信仰したのか。
おおきな石とは_日本人にとってどのような特別な存在だったのか。
アニミズムから石、滝、山、自然物への信仰が在った時代、どのような意識からそれらに神的な物を見いだしていたのか。

巨石は水質浄化装置である小石の母、神様である_

これは、日本人が古くから持っていた信仰心が環境への感謝の気持ちから始まったのではないか、
という推測で、日本のあちこちにある大きな石への信仰の遺跡を元に、“水”への感謝を忘れてしまった、現代日本人への警鐘を残している。

解り易く言えば、日本人が昔から保って来た大きな石への信仰心は、水を浄化し、わき水としてもたらしてくれる環境への感謝の気持ちなのではないか。

『蛇口』が、現れた時から、スイッチ一つで水が家庭にもたらされた時から、日本人は水と水を浄化する石への感謝=祈りの気持ちを失って行った。

蛇口やスイッチで水が出て来る事_
文明開化とはすなわち、自然環境への配慮、畏敬の念を持ち、祈りを捧げる原始的な信仰の心の喪失を日本人にもたらす物ではなかったのか、と書き出せばとてもシンプルな答えが見えて来る。

大きな石にしめ縄を結んで、供物や祈りを捧げる_
男女の形をした石に子孫繁栄の祈りを捧げる_

巨石は地下水の自然の恵みをいつも感じる為の石神。
祈りを捧げる対象であった。

水は環境破壊から産まれた汚水となって人類に戻って来る_

という警告もあり、漫然と汚水に対して無神経になっている自分はちょっと怖くなったり。

ここまで環境を破壊させた地球上の生物は居ませんから。
明治維新が、単なる文明開化だけではなく、商業主義、成果主義に盲進して、その為の欠点を(環境破壊)顧みる事に鈍感になっていた。
日本古来からの巨石信仰を捨てた時から、日本人は別の種族へと変身させられたように思えます
が・・・

私は明治維新、文明開化、廃仏毀釈がやがて、多くの文化的遺産、人材、国土の緑を失った戦争へと
続く軌道を作ったように思えます。

今一度、廃仏毀釈について、その是非について、考え直す事が、また水の浄化、環境維持への起点になるような気がします。

仏=石仏や石に祈りを捧げる気持ち それらを捨てた時、それらを見失った時、人々は新たな信仰先を見つけた。
お金である。
貨幣経済こそ、環境破壊、怪しげな新興宗教を生み出す源となった。

巨石信仰を考える時、水が全ての人間の欲求を満たす物ではなかったか。
石が水を浄化する事を知っていた時代、石に無心に水の恵みを祈っていた時代に思いを馳せる事が、
今の日本人には必要な事だと思わずにはいられない。

また古代の測量技術が正確に二等辺三角形で形成される山、『飯盛山』の存在についての考察が面白い。
日本のあちこちに点在する飯盛山とは、何だったのか。
飯盛と日守は同義語。
太陽信仰と山、飯=米への(豊作)の祈り_

それらの符号を読み明かすうちに、遥か日本がまだ神話すら存在しなかった古代の、人々の祈りの
祖系を見いだして行く事が出来る。

国産みの物語、国譲りの神話は測量技術で日本の地形が選定された逸話の変形なのでは、という視点や飯盛山が時の権力者達の子孫を見守る為の墳墓だったのでは_という推察が面白い。

巨石信仰は、明治維新で歪められた神道の皇祖神が、もっと庶民に身近で面白い物で、面白い形の石達に容易に変異する物だったのでは_と思う。

今日本人は祈りの対象を見失い、預貯金の残高に祈りを捧げる。
喪神の時代に、環境破壊が行われるのは、全くの道理だと気がつかされる。

この巨石文明に思いを馳せる事が、環境破壊への自戒になるとは、遺跡や神話は、実に多くの警告のメッセージを残すメール機能なのではないか、と感じるのです。

遺跡や巨石信仰を“感じる事”これからエコスタイルに入ると、日常にまたよりいっそう多くの含蓄を
受け取る事が出来るのではないかとこの書を読んで思いました。

磐座 イワクラ

http://ja.wikipedia.org/wiki/磐座

古代巨石文明の謎に迫る

イワクラ学会 編・著


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   ある数学者の死  [研究・解明]

親族が一月の末に急死しました。
心筋梗塞です。
まだ52歳。

心臓で亡くなった、と聞いた時、咄嗟に「脳は残せないだろうか?」と思った程、頭のいい人でした。
私はブログで臓器移植に反対し続けていますが、あの脳が生かされるのなら、私の心臓なんかいつでもあげたい、とその時思いました。

死は死でしかない。
死は生命情報の消失で、地球から生命反応が一つ消えるだけだ。
でも、この親族は(私は血の繋がりはありません)数学者でした。

突然死なので、遺書もありませんでした。
しかし、数学者なので、数式が残りました。
ネット上には、彼の人が書き残した数式の論文が残りました。
それが彼の存在の形です。

もしかしたら、大げさではなく、人類の謎とされてきた数式が解ける事が出来たかもしれない人でした。

惜しまれる死。
顧みられない死。
公的な死。
沢山の死がありますが、その親族の死は数学の研究の死の一つでもありました。
後に残された若い奥さん、そしてその血を受け継いだ賢い一人息子を親族で見守るしかありません。

私には、もうリーマン予想について、回答してくれる親しい人が居なくなりました。
手近な所に学者がいるなんて、なんて素晴らしい環境だったのか!今やっと気がつきました。
(私はリーマン予想は、四次元空間の証明の方程式が隠されていると思っています)

悲しいです。

音楽家は死に際して楽譜に音符を残し、小説家は物語を残す。
ある数学者は数式を残し、その研究を受け継ぐ賢い子供を残しました。

数学者にとって、数字と数式は建築機材のような物で、自在に操り、美しい公式を立て、理論と予想を構築して行く物だと思います。
数学者とは数字の芸術家なんだと。

それをいつか言ってあげよう、とそう思ってました。
ネット上に浮かぶ、彼の人の数式を見て、涙する私なのです。

52歳の学者。
若過ぎる死でした。


ワインが美味しく無い夜です・・・


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ヒトゲノムの3D構造を解明_脳死は人の死じゃない。 [研究・解明]



【10月10日 AFP】1つ1つのヒトの細胞は、膨大なDNAをいかにして詰め込んでいるのか――。その謎を解くべくヒトゲノムの立体構造を明らかにしたとする米科学者チームの論文が、8日の米科学誌「サイエンス(Science)」に発表された。

___________________________________________

ヒトゲノム。ヒトの遺伝子情報_人の一つ一つの細胞は、カプセルのようにその細胞の持ち主の
全遺伝子情報が組み込まれている_

人間は遺伝子情報のデータを一つの細胞膜の中に取り込み、その集合体として生きている?
____________________________________________
【10月10日 AFP】
研究では、ゲノムが「フラクタル」という数学用語で知られる方法で自己を組織していることもわかった。このため細胞はその核に、コンピューターチップよりも3兆倍も高い密度でDNAを閉じ込めることができる。

このとき、細胞のゲノム読み取り能力を損なう恐れのある「もつれ」や「からみ」ができないようにすると同時に、遺伝子活性化、遺伝子抑制、細胞複製の際にDNAが容易に折り畳まれたり引き伸ばされたりするのを可能にしていた。(c)AFP

_____________________________________________
細胞核の中にコンピューターチップよりも三兆倍の密度、遺伝子情報を閉じ込める事が出来る_
その時、細胞が遺伝子情報を読み損なう恐れの有る、ヒトゲノムが絡んだり、もつれたりしないようにする事が出来て、遺伝子の必要な有事(笑)に応じて、DNAが折り畳まれたり、引き延ばされたりするのが可能である。

うーんコンビニエンス!細胞核の中の遺伝子情報が絡まったりしないように上手に収納出来るなんて
『絡まん棒』がついてる洗濯機みたいだ!
それが人それぞれの中に生きているんだなぁ。

私は、そんなすごい働きの細胞に相応しい人生送ってるだろうか?(しょぼーん)

前に「脳死は人の死か」で脳死した若者から心肺同時移植を受けた中年女性が感じた、“もう一人の私”、臓器提供者の記憶転移、共生についてブックレビューを書きました。

移植された心臓の中に宿る、その持ち主の存在を感じる不思議な物語の本でした。

このヒトゲノムとして、臓器移植を考えると、個々の細胞の中に、持ち主の遺伝子情報が組み込まれているのなら、移植された臓器に、その提供者の“情報”が移るのは当たり前ですね。

と、すると、このヒトゲノムを個々の生命体の源とするなら、やはり、脳死は人の死、じゃあないですね、違う。全細胞の活動停止こそが人の死で、人体のパーツ別の死は人の死じゃあ無いなぁ。
つまり、臓器移植法A案は、「臓器移植できるレベルに望ましい個体の状態」としての死を望んでるんじゃ・・・あ、こんな話はとっくに議論済みなのかな。

脳死状態は、マクロ的言えば、死んでる状態、しかし、ミクロ的な観点から言えば、ごく一部の損壊でしかない・・・

私、この臓器移植法の論点にかけている事は、この個々の細胞の生命体をどう解釈するか、なんじゃないか、と思う訳ですよ。

つまり、お子さんの臓器移植の場合親御さんはドナー提供者だったら、「まだ心臓は動いてるのに・・・」とか「助かる見込みが有るかも知れない、脳死と言っても、蘇生したりする訳だし」
と悩む訳でしょ。親御さんと書きましたけど、奥さんだったり旦那さんだったり、の場合もそうです。
このヒトゲノムの研究は、その悩みがあながち的外れじゃない事を示してるでしょ。
だって、その患者さんの生命体情報が全細胞にあるなら、体の一部が動かなくなってるだけであって、一つでも細胞が生きてる限り、その人の命の情報の消滅じゃないんだから。

どこからどこまでが死なのか。
日本人の宗教観もその死についてあいまいで、いまやは五里霧中です。
キリスト教の観点から、魂は死んだら天に召され、その骸は土に還る。というようなイメージングが
子供の頃からある米国とは、臓器移植の論争は一線を科すべきです。

臓器移植は命のリレー。

奇麗な言葉ですが、そこに苦しむ家族がいるのは、命の悲しみのリレーにもなるのでは?

ヒトゲノムの解明が、臓器移植の論争に繋がるなんて、飛躍し過ぎと思われるかも知れませんが、
知っちゃったからには、ちゃんと教えて欲しい。

細胞が脳死後も生き延びるから、臓器移植された先に記憶移転が起きるのでは?
移植された臓器の遺伝子情報をレシピエントが読み取り、それが記憶移転に繋がるだけなのだろうか?

まあ、臓器移植の記憶転移の症例がまだ少ないですから、そこばかり注目するのもどうかと思いますが、ヒトゲノムが動いてる限り、人は死んでいない。
脳死は人の死とするのはあくまでも医学的な後付けだなぁ。

科学の眼、で見る事によって、臓器移植の問題点が明るみになって、よりよい方向へ改正されますように。

せめて、悩んでるドナー提供者の家族に「他の細胞が生きてても、脳が死んじゃったら、用無しなんだよ!」と恫喝するくらいの勇気ある(え!)医者が居るならまだ話合いも出来ますけど、メンタルな痛みの部分を無視して、美談美談で進めようとすると、却って二の足踏まれる状態になるだけじゃ・・・


参照サイト
記憶移転_移植で死者の記憶が患者に転移するのか?

http://x51.org/x/05/03/0202.php


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共通テーマ:日記・雑感

記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記 脳死は人の死か [研究・解明]

心肺同時移植手術を受けたクレアは手術後、自分の中に別の誰かが存在していると感じ始める。
食べ物の好みや性格にも変化が現れ、不思議な夢を見るようになる。
一体自分に何が起こったのか答えを求めてクレアの旅が始まる。
脳死の定義に大きな疑問符を投じる衝撃のノンフィクション!

それから数ヶ月というもの、ドナーの魂もしくはパーソナリティーの一部が自分の中に存在しているという感触が日ごとに強まっていった・・・

これが紹介する本書、「記憶する心臓」の帯に付けられた筆者の言葉の紹介文です。

「クレアの体験はいかに細胞の記憶が肉体の死後まで生き伸びるかを示す非常に興味深い例である。
この事実は形而上の生という一般認識に新しい洞察を投げかける物である。」
ディーパック・チョプラ医学博士の賛辞がついています。

この二つの紹介文だけでこの本の内容は・・・察しが付くと思いますが、この体験記は心肺同時移植を受けたある中年女性の手記なのです。(手術を受けたのは40代後半)
それで、“闘病記”なのか、と言うとそうではなく、受け入れた見ず知らずの持ち主だった心臓と供に暮らす内に、“自分は一人ではない”という感覚にとらわれ、食物の好みが代わり、不思議な夢を観るようになり、ある一人の男性の名前を感知する。

その名前は_彼女が必死で調べた結果、彼女、クレアに心肺を提供したドナー患者の名前と合致する
・・・その男性は時々夢に現れ、生きているという様々なシグナルを発信して来る。

クレアはついにドナー提供者の家族の元を訪ねる決意をし、彼女が感じたシグナルが脳死した患者の物であるか確かめる為に旅に出る。
そして他の臓器移植患者にコンタクトを取り、同じような体験をした人がいないか、聞き取り調査を開始した。

そして現代医学だけでは解明出来ない様々な不思議な症例を紹介して、“魂”の存在を浮き彫りにする。
肉体は傷つき、やがては死を迎える_臓器移植はその“患者の死”を元に患者を蘇生させる最新の延命技術であります、そして心肺同時移植というもっとも高度で難しい手術は“脳死患者”という“母体”がなければ成立しえないものです。

“脳死”は人の死か?“心臓はただのポンプか?”
この本書の基本テーマはこれです。

そして“臓器”“細胞”にも持ち主、ドナー患者の記憶、意識が宿り、移植先のレシピエントにその事を
告げるシグナルを発信する事がある_これはどう言う事か?

心臓、脳の働きだけで人間は生きているのか?
魂はどこに宿るのか?

再生された移植患者のメンタルの苦しみも細かく記述され、臓器移植というのは、たんなる人類の福音で無い事を知る事になります。

クレアは自分の中に共生する存在に驚き、混乱します。
これはその体験者でないと解らない衝撃だと思います。
50代になろうとする肉体に18歳で事故死した若者の心臓。

時にクレアは自分の肉体の限界以上に動き回ろうとし、パワフルにエネルギーを出し続ける心臓に
振り回され、疲労困憊します。
けっして訪れる事の無い若者の未来が心臓に閉じ込められている事を感じるのです。

これは・・・悲しい生の確認ですよね・・・パワフルであり、エネルギッシュな心臓というのは持ち主に好ましい状態を演出するものであるのに。

彼女には“失った若い生命”を取り込んで生き延びている事を確認させられる悲しい反応なのですから。

他に心肺移植、腎臓移植をした人々のドナー体験が綴られ、本当に必要な研究すべき題材、人間の生命とは何か_肉体の死は魂の死ではないのか?
脳死は人の死ではないか?

ドナー家族の苦しみ(多くのドナー提供の家族は、死亡した家族の臓器を提供した事を後悔するらしいのです。理由は様々です。)ドナーと共生する事を自覚し、受け入れる事に対しての患者へのケアが医療技術と同じくらい大切な事なのではないか?
臓器移植は既に宗教を超えて、人類レベルの共通認識が必要なのでは・・・
という問題点を読む人に示唆するのです・・・

心臓外科医はこのクレアの体験記を否定し、一笑に伏す人も居ます。
ですが、医療技術の進歩が進むにつれて、臓器移植も増えて行くでしょう。
そうすると、第二、第三のクレアの症例の報告も、増えて行くかも知れません。
臓器移植の本当の問題は、科学では解明出来ない魂の問題を意識し、それぞれの宗教や国籍、思想
を超えて考える事が出来なくては、患者の苦しみを救えず、結果“医療”として体を成さないという事なのでは・・・“移植”は単なる技術でその移動された“魂”の問題をも見つめ、患者と上手く共生させる・・・そこまでのケアが必要なのでは・・・

人間の肉体はただのパーツではない。
臓器はパーツではない。
臓器移植は個体の死だけではなく、死んだ患者の臓器に残る魂の存在も考えなくては片手落ちで、本当の治療ではない。(患者に移植者の記憶の共生を自己解決させるのは先端医療の怠慢である)

本書を読み通す内にそれを強く感じました。

心とは何処に有るのでしょうね?
失恋はハートブレイク、とは言っても脳が壊れたとは言いませんよね?
では魂は心臓に宿るのか・・・
クレアは心臓を取り替えても、本来の人格は残り、新しい心臓の記憶と共生した。
すると心臓だけが魂の有りどころではなく、その患者のパーソナリティが濃く溜まるのが心臓なのでしょうか・・・

脳死した人が心臓死した人の脳と取り替えらる日が来たら?
自分がまだ死んだと感じていないのに、臓器を摘出され、誰かの体に宿っていると感じたら?

子供の頃「ドウエル教授の首」という恐いSF小説を読んだ事があります。
脳だけ活かされて、犯罪に使われてしまい、それを助けるために主人公は・・・
というもの。だいぶ前なのであんまり覚えてないのですが自分の臓器が勝手に摘出されて、悪い人に使われてしまう!というのがもの凄く恐怖で、そんな医学技術の進歩なんてイラナイ!( ̄口 ̄;;
と恐怖したのを思い出しました。恐かったな〜あれ。大きな病院行くと地下にそんな悪の組織の実験室があるような気がいまだにするのです。(ナイナイ)


この「記憶する心臓」は4、5年前に青山の精神世界の本を扱う本屋「ブッククラブ・カイ」で購入し、ずっと書評を書きたい、書きたいと思ってまして、今回臓器移植法A案が成立したのを期に、脳死は人の死か、という事を、医療技術ではなくドナー提供者の魂の問題として、脳死を考えるという視点もある、となんとか綴りました。ずっと気になってた本なので書き終えてホッとしました。

臓器移植を魂という科学では割り切れないけれど、長く人類が気にして来た存在で考える。
これが真の科学と自然の共生なのではないでしょうか?
だって人間も自然生物の一部ですからね・・・

レシピエント
贈り物を受け取る者(臓器を提供される側をさす)

ドナー
提供者(臓器を提供する側)

ブッククラブ・カイ
http://www.bookclubkai.jp/

記憶する心臓についてのウィキペディアページ。
記憶移転−http://ja.wikipedia.org/wiki/記憶転移

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もう八月なのにぼんやりした空。
このブログを書き終えたら、ぐったりして寝込んでしまいました^^;

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ダライ・ラマ チベット、北京オリンピック、雑記、雑感。 [研究・解明]

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これも古い写真、多分麻布あたりだと・・・



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昨日の渋谷です。

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どこかのカフェ・・・

昨日ランチを食べた青山エチカのカフェ・デ・メトロのパンとケーキ。

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私が食べたランチ。パンと発泡酒。

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だいたいの値段です。パン屋さんでパンだけ買って、カフェ・デ・メトロのコーヒーやワイン(一杯400円くらいから)と好きな席で頂く事も出来ます。

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聖火ランナーの妨害行為多発!
もーこんなの、始めてみました。
ガードされて。
別の競技になってますよ。東京オリンピックを境に日本は高度経済成長期に緩やかに入って行った。
道路は整備され、教育環境、医療技術が高まっていった・・・そこにイデオロギーの混乱はなかった。
北京も同じようにオリンピックをへて、経済教育などが近代化して行くのだろう、と思っていた。
けれども、まず、恥をまき散らすかのようなこの状況。
問題は勿論、ダライ・ラマが亡命せざるを得なかった状況に対しての抗議だろうし、漢民族にチベット観光の利益が還元されてるという状況にもあるだろうし、この二つだけの問題に対しても、チベット民族が置かれた圧政に苦しむ状況が見えて来る。こちらに届く情報の問題点はマクロ(おおまかな事柄)的であって、その他の差別や詐取は大変酷い状態になっているのだろう、と思う・・・

中国人口のほぼ90%を占める漢民族はあの有名な「中華思想」があり、チベット弾圧の解決の糸口を掴むに難しいのだと言う。
・・・・共産国が、オリンピック開こうという国が植民地支配してどうすんの?
人民共和国の<民>って漢民族の<民>だったのぉ?

ロシアはチェチェン圧政してるし、アメリカはイスラエル支援してるし、で私が子供の勉強していたイデオロギーで作られた理想の大国は皆ボロがでちゃった。
人間で変わらないのね。どこも。

日本に今、ダライ・ラマが来ているけど、またとない好機、日本が介在してあげなよ。
中国に配慮してって、どうしてチベットにも配慮出来ないの。
なんでこんなに外交べたなの。
雅子さま、出て来てたとえ、会見だけでも良いから出てくれないかな。
そして、取りなしてくれないかな・・・
外交・・・できるのにね。
そういえば、今日小学校の入学式か・・・愛子様の。
中央線が乱れて2万人に影響したってニュースでやってたけど、皇室の行事があると変事が起きるともいわれてるなぁ。
こういう時、何かスタンドプレーでもいいから、チベットと中国を取り持つような事をしてくれると良いのになぁ。私らの子供、孫の代くらいになると、「なんで皇族を養わなくちゃいけないの?」とか言い出す人沢山出て来そうだね。
特別な存在価値をこういう時発揮してスカっとしたいなぁ。

中国はテクノロジーと経済ばかり発展して、近代国家の仲間入り出来るモラルがまだまだ未熟だね。(環境問題含む)
いっそ中止させたらいいのに。
というか、チベットから手を引け。鉄道のこして。

動物占い
本箱整理したら懐かしい本が。
動物占い。(覚えてます?)
わたし、ゾウでした。
けっこう当たってました。^^;;









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時津風部屋、力士怪死事件と沢尻エリカ様の涙の謝罪は事件? [研究・解明]

追記・10月二十日の朝のワイドショーで診察した病院は「不審死」の届け出を出していた事が解りました。
愛知県警の初動ミスであるとの事でした。
渡辺さんのエッセイだけで、一方的な観点でブログを書いてしまいました。

時津風部屋の力士怪死事件では病院の対応に不手際は無かったようです。
誤解を与える表現をしてすみませんでした。

相撲部屋と県警ぐるみの事件の隠蔽となるとまだまだ沢山の類似事件がありそうとの事です。

さんざんマスコミに内容出ちゃってから書いても仕方ないんだけれど、沢山記事も読みましたし、ネットの書き込みも見た、そういう事後の素直な感想なんですが、元時津風親方
(親の方と書いて親方、文字通り親代わりじゃなくちゃね)なんですが言動や態度なんて相撲素人の私からみたヤクザモンと同じ。

ビール瓶でコン!とやったら相手がよけたので(あたりまえじゃ)額に当たった(そういうのを暴行と言うのじゃ)とか言う下り。
光市母子殺人の赤ちゃんをあやそうとしてリボンをチョウチョ結びにしたら力が入ってしまい死んでしまった。という陳述(珍述?)とおんなし匂いを感じますが・・・同じ後着け言い訳。

なにより、なによりでございますよ、この亡くなった17歳の力士への謝罪、親御さんへの直接の報告が無いのはどーしてなんでございましょ。

犯人だから、としか言いようがありません。
一人の部屋付きの力士の死に対して、ぞんざい過ぎますよ。

協会理事長に「ご迷惑をおかけしました」と謝る元親方(当時親方)。
だったらご両親の郷里まで出向くのが先でしょ。

お預かりしたお子さんに対して申し訳ない・・・とかなんとか。
元親方の謝罪のベクトルが相撲協会というのが恐い。
ヤクザ社会とおんなしでしょ。
国技の常識がこれじゃ・・・日本人の横綱は当分出ませんね。

「週間新潮」読んでたら
渡辺淳一さんのコメント(小説家で元医師)で「怪死した力士を不審死としなくて、心不全として始末してしまった医師も悪いし怪しい、医師がきちんと事件性ありとして警察に通報したらここまでこじれること無く、ご両親も苦労しなかったのでは・・・」と。「この若さで心不全はあきらかに可笑しい、医者なら誰もが首を捻る・・・」というような事を書いていました。
うーん流石専門家の意見は違う。
医師の検死にも問題、もし頼まれて暴行死をただの心不全(心臓が止まって死亡した、という状態を挿す物で、大まかな死亡時の報告なんだそうです、心不全は)としたら医者も義務違反ですね。広がる。波紋が。

医師に免許停止をチラつかせて、問いつめれば、かえって早く真相究明できるのと違いますか?
「先生ひとつ・・・検死報告、頼みますよ」「親方・・・しょうがないですね・・・」なんて会話がもしあったとしら、もう言い逃れは出来ないでしょ、状況証拠は少ない事件だけど。
将を射んとすればまず馬を射よ、か。

この場合、弟子とお医者さんで外堀埋めればいんでないかい?

そして体質改善しなきゃね、時代が変われば、部屋の風習だって変わる。
レトロ好きだけれど因習を残す事だけが伝統を守る事じゃない。

伝統や相撲の技、建物は残しつつ、人間も変えていきかなきゃ。
付け足し
昔はお相撲は神事とかではなく、イベント的な催し物的な感じだったらしいよ。

沢尻様涙の記者会見。

私これ、見てないんですが、「別にぃ〜」「特にぃ〜」という例の会見は日曜日の「アッコにおまかせ」でみました。すごーすごー。

私正直に羨ましいと思いました。ハイ。

一回でいいからこんな事言ってみたい。自分を盛り上げる司会者を「くだらねーこと言ってんじゃねーよー」
と睨み付けてみたい・・・。

上田桃子がテレビインタビューで「バスケやバレーは先がない(プロになって稼げないという意味らしいです)やる人の気が知れない」と答えてブログ炎上中とか。

沢尻エリカと年が同じ・・・くらい?(21)1985〜6年産まれくらいですか。

早く産んだとして、親は1960年前後。
バブル期に成長して、成果主義、営利主義の価値観にまみれて育った世代だな。(主観ですけど)

見事にそういうの反映されてるなぁ。

「稼いでるから」「若くて人気があるから」「結果出してるし」

だから何を言っても良い、やっても良い、文句ないでしょ?

その言動の原理が実はバブリーな価値観で裏付け無いから、反発やお叱りがあるとすぐ謝る。

沢尻エリカの言動は司会をしてくれていた人に先ず失礼だし(自分が35、6になって司会の仕事しか廻ってこなくなった、さぞかし、反省するんだろうなぁ・・・)(あ、でも可愛いからお嫁に行ってるか!)

上田桃子は頑張っても成果出せない人や、好きなスポーツで食べていけない悲哀が解らない。
(だから“飛ばせる”のかも)

薄っぺらな人生観で他に知識や礼儀がないから、本業以外の所で騒ぎを起こす。

そういうのが“みっともない”事だって、気が着いても、きっとちやほやしてくれる人は(アリゾナ砂漠みたいなー)後を絶たないんだろうな。

礼儀、教養、エレガンスよりも日本は「若さ」と「力」(色んな意味で)が有る人間が最強なんだね。

そう言えば大相撲の土俵入りも神秘的な優雅さ(エレガンス)が無くなった様に感じる。

力士怪死事件、沢尻、桃子事件、(えげつない)って言う関西弁がぴったり。

そしてご両親はほんとお気の毒、これで角界が変わらなきゃ、気持ちは救われないよね。

そして新潮にものっていましたがミャンマーで銃弾に倒れた長井さんの献花と抗議デモの様子。
事務所が国連大学ビルに近いのでよく抗議デモや人権問題の座り込みを目にします。
青山はオシャレなブランドストリートだけではなく、こういった世界情勢のダイレクトな動きの一端を目にする事が多いです、無関心ではいられません。

痛た痛たたた・・・やっぱり脇腹が痛い・・・やっぱりあそこは藪かー明日口コミの渋谷のクリニックへ行きます。また初診料がかかるな〜〜><早く元気にならないと・・・







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アラビアのロレンスの命日 [研究・解明]

宮益坂の古本屋、「中村書店」で「アラブから見たアラビアのロレンス」を購入しました。

ハリウッドの巨匠、デビットリーン監督の名作「アラビアのロレンス」という映画によって、世界に名を馳せたトマス・エドワード・ロレンスは1888年、8月16日に産まれた。
イギリスの片田舎での隠遁生活中に、オートバイ事故で亡くなったのが1935年、5月13日。
(昏睡状態が6日間続き、その後永眠)

つまり今日が「アラビアのロレンス」の命日です。
昨夜本を読んでいて、命日が今日である事を知りました。
これも何かの偶然ではないかも・・・と思い、こうして、ブログに書くことに。

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