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ヒトゲノムの3D構造を解明_脳死は人の死じゃない。 [研究・解明]



【10月10日 AFP】1つ1つのヒトの細胞は、膨大なDNAをいかにして詰め込んでいるのか――。その謎を解くべくヒトゲノムの立体構造を明らかにしたとする米科学者チームの論文が、8日の米科学誌「サイエンス(Science)」に発表された。

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ヒトゲノム。ヒトの遺伝子情報_人の一つ一つの細胞は、カプセルのようにその細胞の持ち主の
全遺伝子情報が組み込まれている_

人間は遺伝子情報のデータを一つの細胞膜の中に取り込み、その集合体として生きている?
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【10月10日 AFP】
研究では、ゲノムが「フラクタル」という数学用語で知られる方法で自己を組織していることもわかった。このため細胞はその核に、コンピューターチップよりも3兆倍も高い密度でDNAを閉じ込めることができる。

このとき、細胞のゲノム読み取り能力を損なう恐れのある「もつれ」や「からみ」ができないようにすると同時に、遺伝子活性化、遺伝子抑制、細胞複製の際にDNAが容易に折り畳まれたり引き伸ばされたりするのを可能にしていた。(c)AFP

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細胞核の中にコンピューターチップよりも三兆倍の密度、遺伝子情報を閉じ込める事が出来る_
その時、細胞が遺伝子情報を読み損なう恐れの有る、ヒトゲノムが絡んだり、もつれたりしないようにする事が出来て、遺伝子の必要な有事(笑)に応じて、DNAが折り畳まれたり、引き延ばされたりするのが可能である。

うーんコンビニエンス!細胞核の中の遺伝子情報が絡まったりしないように上手に収納出来るなんて
『絡まん棒』がついてる洗濯機みたいだ!
それが人それぞれの中に生きているんだなぁ。

私は、そんなすごい働きの細胞に相応しい人生送ってるだろうか?(しょぼーん)

前に「脳死は人の死か」で脳死した若者から心肺同時移植を受けた中年女性が感じた、“もう一人の私”、臓器提供者の記憶転移、共生についてブックレビューを書きました。

移植された心臓の中に宿る、その持ち主の存在を感じる不思議な物語の本でした。

このヒトゲノムとして、臓器移植を考えると、個々の細胞の中に、持ち主の遺伝子情報が組み込まれているのなら、移植された臓器に、その提供者の“情報”が移るのは当たり前ですね。

と、すると、このヒトゲノムを個々の生命体の源とするなら、やはり、脳死は人の死、じゃあないですね、違う。全細胞の活動停止こそが人の死で、人体のパーツ別の死は人の死じゃあ無いなぁ。
つまり、臓器移植法A案は、「臓器移植できるレベルに望ましい個体の状態」としての死を望んでるんじゃ・・・あ、こんな話はとっくに議論済みなのかな。

脳死状態は、マクロ的言えば、死んでる状態、しかし、ミクロ的な観点から言えば、ごく一部の損壊でしかない・・・

私、この臓器移植法の論点にかけている事は、この個々の細胞の生命体をどう解釈するか、なんじゃないか、と思う訳ですよ。

つまり、お子さんの臓器移植の場合親御さんはドナー提供者だったら、「まだ心臓は動いてるのに・・・」とか「助かる見込みが有るかも知れない、脳死と言っても、蘇生したりする訳だし」
と悩む訳でしょ。親御さんと書きましたけど、奥さんだったり旦那さんだったり、の場合もそうです。
このヒトゲノムの研究は、その悩みがあながち的外れじゃない事を示してるでしょ。
だって、その患者さんの生命体情報が全細胞にあるなら、体の一部が動かなくなってるだけであって、一つでも細胞が生きてる限り、その人の命の情報の消滅じゃないんだから。

どこからどこまでが死なのか。
日本人の宗教観もその死についてあいまいで、いまやは五里霧中です。
キリスト教の観点から、魂は死んだら天に召され、その骸は土に還る。というようなイメージングが
子供の頃からある米国とは、臓器移植の論争は一線を科すべきです。

臓器移植は命のリレー。

奇麗な言葉ですが、そこに苦しむ家族がいるのは、命の悲しみのリレーにもなるのでは?

ヒトゲノムの解明が、臓器移植の論争に繋がるなんて、飛躍し過ぎと思われるかも知れませんが、
知っちゃったからには、ちゃんと教えて欲しい。

細胞が脳死後も生き延びるから、臓器移植された先に記憶移転が起きるのでは?
移植された臓器の遺伝子情報をレシピエントが読み取り、それが記憶移転に繋がるだけなのだろうか?

まあ、臓器移植の記憶転移の症例がまだ少ないですから、そこばかり注目するのもどうかと思いますが、ヒトゲノムが動いてる限り、人は死んでいない。
脳死は人の死とするのはあくまでも医学的な後付けだなぁ。

科学の眼、で見る事によって、臓器移植の問題点が明るみになって、よりよい方向へ改正されますように。

せめて、悩んでるドナー提供者の家族に「他の細胞が生きてても、脳が死んじゃったら、用無しなんだよ!」と恫喝するくらいの勇気ある(え!)医者が居るならまだ話合いも出来ますけど、メンタルな痛みの部分を無視して、美談美談で進めようとすると、却って二の足踏まれる状態になるだけじゃ・・・


参照サイト
記憶移転_移植で死者の記憶が患者に転移するのか?

http://x51.org/x/05/03/0202.php


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gyaro

悲しみのリレー。。。考えさせられます。。。
by gyaro (2009-10-13 12:55) 

kitazawa

gyaroさん、コメントありがとうございます
m__m厳しい内容なので、コメントは付かないだろうなーと思っていましたので、嬉しいです。
んーそうですね、臓器移植に反対してる訳ではないのですが、医療技術の進歩で移植治療が可能になったのは素晴らしい事ですが、臓器提供された側のメンタルの問題も、医療と同じレベルで対処を考えて欲しいなぁ、というのが、このブログを書いた理由です。医療技術の進歩で、心に傷を作ったドナー家族達がどんどん増えて行く・・・
そんな事になったら、瀕死の状態の家族を病院に連れて行くのが怖くなるような時代になってしまうかも・・・と考え過ぎですが、憂慮してしまいます・・・
by kitazawa (2009-10-14 19:55) 

今造ROWINGTEAM

>>全細胞の活動停止こそが人の死で、人体のパーツ別の死は人の死じゃあ無い

って言葉にすごく考えさせられました・・・。

最近更新した自分の保険証の裏に、ドナー提供するか否かの意思表示を書き込まなくてはならなくて、ちょうどどうしようかと悩んでる矢先にこちらの記事を拝見させていただきました。

本当に難しい問題ですよね。。
私のような小娘が難しく考えても何もなりませんが・・・。

また来ます☆
by 今造ROWINGTEAM (2009-10-15 08:32) 

kitazawa

今造ROWINGTEAMさん、初めまして。コメント有難うございます。科学的に見たら、細胞核の中に生命の情報が組み込まれているとしたら、臓器の一部の死はパーツ別の活動停止であって、全体的な死じゃない、という事も考えられますよね。
だから、脳死した家族を目の前にして、臓器移植を迫られて、判断に苦しむ人が出たら、この事を教えてあげたいな、と思います。
「科学的には死んではいないので、移植はお断りします!」これで解決です!
こんな事を書くと臓器移植に反対してるようですが、進んで移植を願う脳死患者さんの家族もおられると思うのですが、そういう人はそれでいい、問題なのはその死に納得出来ない人には強制しないで欲しい、という事なんです。^^;
ご遺体に関する感情は日本人は特別な物が有ると思いますし・・・
>私のような小娘が難しく考えても何もなりませんが・・・。
そんな事は全然ないです!むしろ、若い世代はどんどん考えて欲しい!だって、お年寄りは臓器を貰える側であってあげる立場にはならない。
少子高齢化時代にあって、臓器移植そのものが、国民の直面する問題で、総世代にフェアな問題じゃないんです。若者こそがこの問題を常に考えて欲しいと思います。是非またご意見を聞かせて下さいね。
by kitazawa (2009-10-15 23:57) 

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