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記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記 脳死は人の死か [研究・解明]

心肺同時移植手術を受けたクレアは手術後、自分の中に別の誰かが存在していると感じ始める。
食べ物の好みや性格にも変化が現れ、不思議な夢を見るようになる。
一体自分に何が起こったのか答えを求めてクレアの旅が始まる。
脳死の定義に大きな疑問符を投じる衝撃のノンフィクション!

それから数ヶ月というもの、ドナーの魂もしくはパーソナリティーの一部が自分の中に存在しているという感触が日ごとに強まっていった・・・

これが紹介する本書、「記憶する心臓」の帯に付けられた筆者の言葉の紹介文です。

「クレアの体験はいかに細胞の記憶が肉体の死後まで生き伸びるかを示す非常に興味深い例である。
この事実は形而上の生という一般認識に新しい洞察を投げかける物である。」
ディーパック・チョプラ医学博士の賛辞がついています。

この二つの紹介文だけでこの本の内容は・・・察しが付くと思いますが、この体験記は心肺同時移植を受けたある中年女性の手記なのです。(手術を受けたのは40代後半)
それで、“闘病記”なのか、と言うとそうではなく、受け入れた見ず知らずの持ち主だった心臓と供に暮らす内に、“自分は一人ではない”という感覚にとらわれ、食物の好みが代わり、不思議な夢を観るようになり、ある一人の男性の名前を感知する。

その名前は_彼女が必死で調べた結果、彼女、クレアに心肺を提供したドナー患者の名前と合致する
・・・その男性は時々夢に現れ、生きているという様々なシグナルを発信して来る。

クレアはついにドナー提供者の家族の元を訪ねる決意をし、彼女が感じたシグナルが脳死した患者の物であるか確かめる為に旅に出る。
そして他の臓器移植患者にコンタクトを取り、同じような体験をした人がいないか、聞き取り調査を開始した。

そして現代医学だけでは解明出来ない様々な不思議な症例を紹介して、“魂”の存在を浮き彫りにする。
肉体は傷つき、やがては死を迎える_臓器移植はその“患者の死”を元に患者を蘇生させる最新の延命技術であります、そして心肺同時移植というもっとも高度で難しい手術は“脳死患者”という“母体”がなければ成立しえないものです。

“脳死”は人の死か?“心臓はただのポンプか?”
この本書の基本テーマはこれです。

そして“臓器”“細胞”にも持ち主、ドナー患者の記憶、意識が宿り、移植先のレシピエントにその事を
告げるシグナルを発信する事がある_これはどう言う事か?

心臓、脳の働きだけで人間は生きているのか?
魂はどこに宿るのか?

再生された移植患者のメンタルの苦しみも細かく記述され、臓器移植というのは、たんなる人類の福音で無い事を知る事になります。

クレアは自分の中に共生する存在に驚き、混乱します。
これはその体験者でないと解らない衝撃だと思います。
50代になろうとする肉体に18歳で事故死した若者の心臓。

時にクレアは自分の肉体の限界以上に動き回ろうとし、パワフルにエネルギーを出し続ける心臓に
振り回され、疲労困憊します。
けっして訪れる事の無い若者の未来が心臓に閉じ込められている事を感じるのです。

これは・・・悲しい生の確認ですよね・・・パワフルであり、エネルギッシュな心臓というのは持ち主に好ましい状態を演出するものであるのに。

彼女には“失った若い生命”を取り込んで生き延びている事を確認させられる悲しい反応なのですから。

他に心肺移植、腎臓移植をした人々のドナー体験が綴られ、本当に必要な研究すべき題材、人間の生命とは何か_肉体の死は魂の死ではないのか?
脳死は人の死ではないか?

ドナー家族の苦しみ(多くのドナー提供の家族は、死亡した家族の臓器を提供した事を後悔するらしいのです。理由は様々です。)ドナーと共生する事を自覚し、受け入れる事に対しての患者へのケアが医療技術と同じくらい大切な事なのではないか?
臓器移植は既に宗教を超えて、人類レベルの共通認識が必要なのでは・・・
という問題点を読む人に示唆するのです・・・

心臓外科医はこのクレアの体験記を否定し、一笑に伏す人も居ます。
ですが、医療技術の進歩が進むにつれて、臓器移植も増えて行くでしょう。
そうすると、第二、第三のクレアの症例の報告も、増えて行くかも知れません。
臓器移植の本当の問題は、科学では解明出来ない魂の問題を意識し、それぞれの宗教や国籍、思想
を超えて考える事が出来なくては、患者の苦しみを救えず、結果“医療”として体を成さないという事なのでは・・・“移植”は単なる技術でその移動された“魂”の問題をも見つめ、患者と上手く共生させる・・・そこまでのケアが必要なのでは・・・

人間の肉体はただのパーツではない。
臓器はパーツではない。
臓器移植は個体の死だけではなく、死んだ患者の臓器に残る魂の存在も考えなくては片手落ちで、本当の治療ではない。(患者に移植者の記憶の共生を自己解決させるのは先端医療の怠慢である)

本書を読み通す内にそれを強く感じました。

心とは何処に有るのでしょうね?
失恋はハートブレイク、とは言っても脳が壊れたとは言いませんよね?
では魂は心臓に宿るのか・・・
クレアは心臓を取り替えても、本来の人格は残り、新しい心臓の記憶と共生した。
すると心臓だけが魂の有りどころではなく、その患者のパーソナリティが濃く溜まるのが心臓なのでしょうか・・・

脳死した人が心臓死した人の脳と取り替えらる日が来たら?
自分がまだ死んだと感じていないのに、臓器を摘出され、誰かの体に宿っていると感じたら?

子供の頃「ドウエル教授の首」という恐いSF小説を読んだ事があります。
脳だけ活かされて、犯罪に使われてしまい、それを助けるために主人公は・・・
というもの。だいぶ前なのであんまり覚えてないのですが自分の臓器が勝手に摘出されて、悪い人に使われてしまう!というのがもの凄く恐怖で、そんな医学技術の進歩なんてイラナイ!( ̄口 ̄;;
と恐怖したのを思い出しました。恐かったな〜あれ。大きな病院行くと地下にそんな悪の組織の実験室があるような気がいまだにするのです。(ナイナイ)


この「記憶する心臓」は4、5年前に青山の精神世界の本を扱う本屋「ブッククラブ・カイ」で購入し、ずっと書評を書きたい、書きたいと思ってまして、今回臓器移植法A案が成立したのを期に、脳死は人の死か、という事を、医療技術ではなくドナー提供者の魂の問題として、脳死を考えるという視点もある、となんとか綴りました。ずっと気になってた本なので書き終えてホッとしました。

臓器移植を魂という科学では割り切れないけれど、長く人類が気にして来た存在で考える。
これが真の科学と自然の共生なのではないでしょうか?
だって人間も自然生物の一部ですからね・・・

レシピエント
贈り物を受け取る者(臓器を提供される側をさす)

ドナー
提供者(臓器を提供する側)

ブッククラブ・カイ
http://www.bookclubkai.jp/

記憶する心臓についてのウィキペディアページ。
記憶移転−http://ja.wikipedia.org/wiki/記憶転移

記憶59.jpg

もう八月なのにぼんやりした空。
このブログを書き終えたら、ぐったりして寝込んでしまいました^^;

渋谷76.jpg
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コメント 8

manamana

子供の頃見た映画を想い出しました。
友人の脳が水槽みたいな所に入っていて、
電線か何かでつながっていて、
テレビ画面から友人を呼ぶのです。
怖かったなぁ。

by manamana (2009-07-27 15:38) 

にこちゃん

「世界丸見え・・」だったかな?
同じように臓器移植後に好みが変わったり、
ヘンな夢をみたりしたケースやっていた気がします。
医学の進歩でいろいろできるようになっていますが、
そこに体が人間が丸ごとついて行っていないことへの
何かの警鐘なんでしょうか?
原因などは明確にはなってないでしょうが、
わたし達は何かを感じて考え続けなければいけないのかも。
by にこちゃん (2009-07-31 13:52) 

gyaro

心臓と心、それから記憶。。。
このあたりの考え方、発想って興味深いです^^
でも、これノンフィクションなんですね!

>魂はどこに宿るのか?
考えれば考えるほど不思議な事ですよね。。。
by gyaro (2009-07-31 23:15) 

のの

今、子供の臓器移植のこととか話題になってますが
賛成・反対、どちらともいえません・・・・;
なるほど、こんな体験される方もいるんだなぁと
今初めて知りました。
なかなか興味深いお話ですね。
by のの (2009-08-01 07:40) 

kitazawa

manamanaさん、それ、それですよ!きっと。
検索かけたら、映画化もされてました。
ロシアで映画化ってところが、恐さ倍増。^^
タイトルも、SF通の人にシュチュエーションを説明して、教えて貰ったくらい、記憶がないのですが、子供の頃、悪用されるような脳みそになりたくない!と思いました。なんか無駄な心配だったみたいです・・・^^;;
by kitazawa (2009-08-02 21:25) 

kitazawa

にこちゃん、心に響くコメント有り難うございます。この書評も言いたい事が多過ぎて結局、読む人へのメッセージを全然絞り切れてない、と苛立ちもありましたが、にこちゃんのようなコメント
頂けてホッとしました・・・人体の神秘って言う言葉では片付けられない。普段、気がつかないけれど、人間は臓器だけで生きてる訳ではない、という実はすごく簡単な事実を考えていかなきゃいけないんだな・・・と思いました。
こういう事を少し考えるだけでも、他人に優しくなれるかも、と思ったりします。
だっていつかは誰かの臓器になって記憶が残ったり、また逆の事があるかもしれない、と思ったり。哲学、宗教、科学・・・その分野ではかつて討論や検証された事のない事柄ですが、また考え、感じる事に価値が、喜びがある事なのかも知れませんね。(やっぱり難しい!><)
by kitazawa (2009-08-02 21:37) 

kitazawa

gyaroさん、こんばんわ。そう、これノンフィクションなんですよ。バイク事故で脳死したドナー患者の名前を感知して、当時の新聞を調べて、ドナー患者の名前を探し出したくだりは、読んでいてドキドキしました。(医療側はドナー、レシピエント同士の連絡を禁じ、決して氏名を明かさないのです。ですからもし、記憶移転の症状が出た場合、レシピエントは余計苦しむ事になります。)>魂はどこに宿るのか?
そして何処から来て、何処へ還って行くのか・・・それとも、魂なんて目に見えない物は存在していない。
人間は死んだら、そのまま、何もかも抹消されて行くのか・・・考えれば考えるほど、不思議な問題です・・・心臓と脳、魂・・・知らない事、解らない事沢山ありますよね、沢山のビルを建てて
ジェット機を飛ばせても、これだけは誰にも答えられない・・・ロマン、としておきましょうね・・・
by kitazawa (2009-08-02 21:50) 

kitazawa

ののさん、仰る通りだと思います。小さなお子さんがいらっしゃる場合、レシピエントの家族、ドナー提供者の家族になる事があり得ますから。
子供の臓器は子供でしか購えない、しかも脳死の状態になる確率は凄く低いという事ですから。
私が凄く言いたかったのは、臓器移植される方、する方、家族や患者へ医療だけではない、心のケアがいるんじゃないか、と。
そう言う事が大事にされないと、臓器移植は医者の手の中だけに残り、たとえ手術が成功しても、
患者の本当の再生にならないんじゃないか、と言う事なんです。やっぱり難しい・・・医療批判をしたい訳じゃないんですけどね><;;;
by kitazawa (2009-08-02 22:17) 

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