SSブログ

代々木上原のモスクでトルコ映画『エルトゥールル』製作支援イベント。被災支援の感動秘話。  [研究・解明]

9月17日、東京の代々木上原にある美しいモスク、『東京ジャーミイ』でトルコ映画『エルトゥールル』製作支援イベントに行ってきました。
小田急線から代々木上原駅を通過する時に高架線から見えるモスクに『一度は入ってみたい』と思った方も多いのではないでしょうか。
トルコ741.jpg

このイベントは明治時代、和歌山県の串本の海岸で台風に遭難、座礁し、沈没したトルコ軍艦『エルトゥールル』号と、その被災に暖かい援助を差し伸べた地元住民の感動秘話がその後大きな国家間の友好関係を産み、後のイランイラク戦争時の邦人脱出劇に繋がった物語の映画化の支援を目的に催されたものです。

午前9時からトルコ映画『蜜蜂』を鑑賞。
音楽はトルコの田舎町の自然の音、ミツバチの羽音、生活音など・・・
養蜂の村に住む男の子の些細な日常と、偉大なトルコの森、空、大地の音の存在感が見終わった後も視覚、聴覚の中に余韻が残りました。

その後トルコ大使館文化広報参事 官室の大森正光氏さんから、121年前の日本とトルコの友好関係の始まり、
の説明を受けました。


トルコ71734.jpg

その後、礼拝の見学。
モスクの礼拝堂へ。

トルコ759.jpg

この清浄な空気感、建築美に圧倒されます。

クルァーンが流れ、お祈りが始まります。
この神秘的な音階、魂に染み入るよう。
私は遠い前世、イスラム教徒だったのだろうか・・・

トルコ1757.jpg

イベント参加者達、皆厳粛な面持ちで座り、私語を発したり、お行儀の悪い人は一人もいない。
敬虔な祈りの姿に静かに見つめている。
それぞれ、私のように、懐かしい気持ちになったり、モスクの中で異教徒の気持ちになったり、日常とかけ離れた
世界に浸っているようです。

女性はモスクに入る時スカーフの着用が義務付けられます。
持ってない人は、入り口に貸し出し専用のスカーフが置いてありますから、遠慮せず、被りましょう。

トルコ1765.jpg

聖地の方角に向かって祈るイスラム教徒。
祈りの姿はどこか悲しげのようでもあり、何かの悼みを訴えてるようでもあり・・・
見ていても飽きる事がありませんでした。

その後六本木へ移動。
トルコ料理店『デニス』へ。
美味しい!ビールも飲み放題だよ!



その後はベリーダンス鑑賞も。
神秘的で華やかなダンス。
私も踊りたくなりました。(また別項でダンスの紹介をします)

内容豊富!トルコ好きな人や旅行経験のある方との会話が弾みました。
このイベント、トルコ好きな人は行かなくて勿体ない!と思いますよ本当に。

エルトゥールル』の制作支援イベント次回実施は2012年3月17日()
こちらのブログでも告知しますし、詳しい問い合わせは『旅行企画会社タビーズ』まで。
〒108-0014 東京都港区芝5−13−18 MTC ビル9F
TEL 03−6435−4833 担当相馬幹広 さんまで。
somamikihiro@yahoo.co.jp

イベント趣旨 映画『エルトゥールル』制作イベントチラシより_______

1890年9月17日、今から121年前の日本の小さな漁村。和歌山県串本町大島樫野崎で起こった悲劇の遭難事故が一つの奇跡を生みました。トルコ船『エルトゥールル』の乗務員を救った日本人、その立役者は自分達が食べるのも乏しい中、救出に尽力した貧しい漁村に暮らす名も無き庶民達でした。
そして100年後、信義を重んじ、日本人を救ってくれた誇り高きトルコの人々がいました。
日本とトルコの共和国の歴史はこうして始まり、今も綿々と続いています。
全ての原点、その名は『エルトゥールル』株式会社タビーズでは2013年の完成に向けて両国の歴史を紡ぐ映画『エルトゥールル』の制作支援をします。

__________
この話にグッと来たあなた、今後のイベントチェックを是非是非!^^

『エルトゥールル』号海難事件とは〜

■和歌山県沖の海難事件

1887年に皇族がオスマントルコ帝国(現トルコ)を訪問したのを受けて1889年7月トルコから初の使節団が出航した。
軍艦の名前は『エルトゥールル』
一年かけて日本に到着し、1890年9月、友好使節の任務を終えて横浜港を出航した『エルトゥールル』号は
翌日、台風に遭難、和歌山県串本町沖の大島で沈没した。(世界の海難史に残る大沈没事件だそうである)

■懸命な救助活動

乗務員600名が死亡したが69名が地元の大島島民の懸命な救助活動、手厚い救命の看護を受け、生存する事が出来た。
当時通信機関も、救助機関もない離島で救助は至難を極めたと言う。
荒波に揉まれ、岩礁にさいなまれて瀕死のトルコ人達に対して大島島民は沖周村長指揮のもと、人肌で暖め、精魂の限りを尽くして救助に当たった。
さらには非常事態に備えて蓄えていた鶏などの食糧の一切を提供して精を付けさせた。
このトルコ軍艦の災難を聞いた明治天皇は大変心を痛められ、生存したトルコ人達を軍艦『金剛』『比叡』に載せて本国まで送り届けさせた。
また日本全国にトルコ人被災者への義援金募金活動が広がり、当時のトルコ人達に深い感動を与えたと言う。

■恩返し
1985年イラン・イラク戦争時の3月17日、イラクのサダム・フセイン『3月19日の20時半以降にイラン上空を飛ぶ全ての国の飛行機を無差別に攻撃する』と声明を出した。
イラン在住外国人に脱出の為に残された時間は48時間。
イラン在住の外国人達はパニックに陥った。
欧米諸国は緊急の臨時フライト便を飛ばすなのでして自国民の救出を行っていた、が当時の日本では社会党などが自衛隊の海外派遣に猛烈に反対しており、自衛隊機の救援活動が出来なかった。
日本航空も同社の労組の猛烈な反対に会い、同じく便を飛ばすことが出来ない。

爆撃予告一日前にトルコの日本大使館にトルコ政府から連絡が入りました『トルコ航空機の200席を日本人に割り当てます。利用してください。』
まだイランには500人あまりのトルコ人が滞在していた、にも係らずです。
こうして爆撃一時間前というギリギリの最中、邦人は無事、イスタンブールに脱出できた。

邦人の為に特別機を用立ててくれたトルコ政府はその行動に対して『ようやく、<エルトゥールル>の恩返しをする事が出来た」というメッセージを発した。

和歌山県串本の海岸の底にはまだエルトゥールル号に乗船していたトルコ人達の
遺体が多数眠っているという。
故郷から遠く離れた異国の海の底で、トルコ人達は日本とトルコの友好を願い続け
ているのだろう。

終わり。



















nice!(5)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 4

manamana

トルコは、西洋とアジアの両方の雰囲気がありそうで、
同僚の女性も先日行ってきてよかったと言ってました。
友好、いいですね。
by manamana (2011-09-25 17:43) 

にこちゃん

こんばんはー
おひさしぶりです~

エルトゥールル号の和歌山沖での難破の話、有名ですよね。
トルコに何故親日家が多いのか、その筋から知りました。
いいですね。こういう機会はできるだけ多いほうがイイと思います。
by にこちゃん (2011-10-01 00:28) 

kitazawa

manamanaさん、こんばんは。長くブログお休みしてました。
ご訪問有り難うございますm__m。
トルコ大使館の人がユーロアジア、と表現していました。
ヨーロッパ、アジアの輪が重なる所、トルコ。
義理人情の大切さ、みたいな物、良いですね。サムライ精神かなぁ。
中東とアジア、ヨーロッパの架け橋として期待したいものですね。
いつか訪問してみたい国NO1です。
by kitazawa (2011-10-01 21:45) 

kitazawa

にこちゃん、お久しぶりです。原発事故の行政の対応の酷さに、怒り心頭でブログ書く元気無くしてました。
色々、活動もしましたが、大事なのは情報を発信していく事だな〜と
また戻って来ました。^^;
誰にでも解りやすく、問題点と解決策は何なのか、自分なりに追求して、コツコツ書いて行きたいです。
にこちゃんのウィット溢れるブログは心の支えです。
頑張ってね。



by kitazawa (2011-10-02 09:48) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。